学習者主体の学び

久しぶりに「授業」を受けました。

まさに「受けて」きました。

かなり受け身でした。

学ぶことの楽しさや喜びを知っている私は、「受け」ながら、いろんなことを感じている自分や、自分の中から湧き上がる感情、それを認識しつつ「受ける」ことについていろいろと考えます…

 

座ってずっと聞いているのが辛い→つまらない→眠くなる→他事をする(内職)

という負の連鎖に巻き込まれていってしまう自分が、主観と客観の間で苦しんでいました。

授業を受ける者として、やってはいけないとわかっている内職に、自分が手を出してしまったからです。「あーダメな生徒だー」という罪悪感。

他事をしていると、その間授業者が話していたことはスッポリと抜けてしまいます。これも実際に体験しました。

 

授業中に、先生がよく叱る場面です。「ほら、先生が話してるよ。聞いてないとわからなくなるよ」確かにそうなのです。でも・・・

ずっと聞いているのって、しんどいのです。

聞き逃したことは、テキストを探れば、何かしらヒントがあり、困らない程度に取り戻せたりします。すると、また他事に走ってしまいます。

罪悪感を抱えながらも、時間を過ごすために何かしらやることを探す自分がいるのです。

 

悪い生徒を思い切りやってしまった私は、なぜ自分がそのようになってしまったのか、考えました。そういう生徒たちの気持ちが嫌というほどわかりました。

 

学習者が主体的に学ぶことの大切さを改めて実感しています。

そして、学習者が主体的に学ぶためには、どのようなことが必要か、ということについても、改めて実感しています。

 

私の今日の体験を通した学びを、この後日常にしっかり活かしていこうと思います。

 

by ayu

 

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コメント: 2
  • #1

    ゆかし (日曜日, 24 6月 2018 07:33)

    日本語教室で日本語ボランティアをしています。はじめに、自己紹介-名前、出身地(×国や地域)、好きなこと、愛称 です。先ずは、私は ~先生では ありません。~さんと呼んでくださいと。けだし、お互いに 学び合い、教え合い、助け合う。多胡 輝さんの きょういく(今日行く所がある)、 きょうよう(今日用がある)。人は人から必要とされることを必要とする。  さてこそ

  • #2

    Commu-Lab (木曜日, 28 6月 2018 23:37)

    ゆかしさん
    コメントありがとうございます。
    きょういく、きょうよう、なるほど。
    素敵なコトバですね。