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コミュニケーションを学ぶこと

 

2022年12月15日、朝日新聞の朝刊でこんな記事に出会いました。

 

三重大の入試問題に出題された問題について取り上げられ、「言葉の使い方とコミュニケーションの在り方について考えさせる内容だった」とあります。

 

コミュニケーションを学ぶワークの小講義で必ず図示してお伝えすることですが、伝え手(話し手)と受け手の間にフィルターが存在します。伝えて(話し手)から放たれたモノ(言葉等)は、受け手に届く手前にフィルターを通り形が変わります。

「流れ星」というワークに取り組んだ方はご存知だと思いますが、このワークを通じ、伝えて(話し手)と受け手の間に起こる差異がかなりあることに気づくことができます。

ここで取り上げられている、中島京子著「やさしい猫」(中央公論新社)の一部は、まさにコミュニケーションの伝え手(話し手)と受け手の間に起こるズレについての描写がなされている場面です。

こうしたことは、大なり小なり、日常生活の中で起こっていることですが、この設問に使われた部分の状況は大変大きなことで、自分の身に危険が及びそうになるような状況です。出題された場面では、”あなただったら自分の身を守るために、考えているこ、思っていることを相手に正しく伝えることができる、そうした力がある”と問う問題だったよう、と記事では述べられています。

大いに同意するところであります。

こうした問題が大学入試問題で問われるようになったことに、コミュニケーションについて学ぶことの重要性を伝え、学びの場を創ってきている立場としては、その必要性が認められてきたことのように思えることとして嬉しく思います。もちろん、そうしたことをわざわざ問うていかねばならないことに、ある種の危機感はもちろん感じるのですが。

それでも、コミュニケーションについて(言葉をはじめとするツール等の使い方を含め、広い意味で)学ぶこと、鍛えていくこと(トレーニング)は、これからの社会において必要であることに間違いありません。

 

その必要性に応えていくためにも、学びの場を創っていきたいと、この記事を読んで改めて強く思うきっかけをいただいたように思います。